島根郡(読み)しまねぐん

日本歴史地名大系 「島根郡」の解説

島根郡
しまねぐん

出雲国の北東部、東に延びる島根半島東部にあたる。「和名抄」東急本国郡部に「島根」とあり、「之末禰」の訓を付す。戦国期には島禰とも記された。近世には東と北は日本海、西は佐陀さだ川付近を境にして秋鹿あいか郡に接し、佐陀川東側の日本海側に同郡の一部が飛地となっていた。南は大橋おおはし川および中海を挟み意宇いう郡・能義のぎ郡と相対するほか、境水道を挟み伯耆国会見あいみ郡の弓浜半島部と相対した。明治二九年(一八九六)当郡は消滅したが、近世の郡域は現在の松江市の大橋川以北の大部分八束やつか鹿島かしま町の東半部、同郡島根町・美保関みほのせき町の全域にあたる。

〔古代〕

「出雲国風土記」島根郡条に郡名の由来として「国引き坐しし八束水臣津野命の詔りたまひて、名を負せ給へるなり」とある。藤原宮跡出土木簡に「出雲国嶋根郡副良里伊加大贄二十斤」とみえ、平城京二条大路跡出土木簡には天平九年(七三七)一一月付で「出雲国嶋根郡生馬郷中男作物烏賊陸斤籠壱斤」とある。風土記は朝酌あさくみ山口やまぐち手染たしみ美保みほ方結かたえ加賀かか生馬いくま法吉ほつきの八郷と余戸あまりべ里、千酌ちくみ(現美保関町)を載せる。郡家は山口郷に置かれたと推定され、現松江市福原ふくはら町の芝原しばはら遺跡は郡家域に含まれていた可能性が高いとされる。天平五年時の郡司として大領外正六位下社部臣訓麻呂・少領外従六位上社部石臣・主政外従六位下勲一二等蝮朝臣・主帳無位出雲臣が知られる。大領社部臣訓麻呂の祖父波蘇等は、秋鹿郡恵曇えとも(現鹿島町)の稲田の間の水溜りを排水するために岩壁を掘抜いている。島根郡家から意宇郡家へは朝酌渡(現松江市)、秋鹿郡家へは佐太さだ(現鹿島町)隠岐国へ渡るには千酌駅の湊を通り、それぞれ通道が設定されていた(以上「出雲国風土記」)

「延喜式」神名帳記載の小座一四座として布自伎美神社(風土記では布自伎弥社、現松江市上東川津町の同名社に比定)、多気神社(風土記では多気社、現同市上宇部尾町の同名社に比定)、久良弥神社(風土記では久良弥社、現同市新庄町の久良弥神社に比定)、同社坐波夜都武自別神社(風土記では同波夜都牟志社)河上神社(風土記では川上社、現同市上本庄町の同名社に比定)、長見神社(風土記では長見社、現同市長海町の同名社に比定)、門江神社(風土記では門江社、現同市上東川津町の布自伎美神社に合祀)横田神社(風土記では横田社、現美保関町森山の同名社に比定)、加賀神社(風土記では加賀社、現島根町加賀の同名社に比定)爾佐神社(風土記では爾佐社、現美保関町千酌の爾佐神社に比定)、爾佐能加志能為神社(風土記では爾佐加志能為社、現島根町野井の爾佐加志能神社に比定)、法吉神社(風土記では法吉社、現松江市法吉町の同名社に比定)、生馬神社(風土記では生馬社、現同市東生馬町の同名社に比定)美保神社(風土記では美保社、現美保関町美保関の同名社に比定)がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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