峯ヶ塚古墳(読み)ミネガヅカコフン

デジタル大辞泉 「峯ヶ塚古墳」の意味・読み・例文・類語

みねがづか‐こふん【峯ヶ塚古墳】

大阪府羽曳野はびきの市軽里にある、5世紀末から6世紀初頭の古墳古市古墳群を構成する前方後円墳で、長さ96メートル、高さ10メートル。竪穴たてあな石室から鉄刀馬具などが出土している。

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日本歴史地名大系 「峯ヶ塚古墳」の解説

峯ヶ塚古墳
みねがつかこふん

[現在地名]羽曳野市軽里二丁目

古市ふるいち古墳群の南西部の一角に位置する前方後円墳。周辺には白髪しらがやま(白髪)古墳(清寧天皇陵に治定)前の山まえ やま 古墳(日本武尊白鳥陵に治定)藤井寺ふじいでら市ぼけやま古墳(仁賢天皇陵に治定)がある。昭和六二年(一九八七)から平成四年(一九九二)にかけて、史跡整備のための発掘調査が行われた。調査の結果二重の濠をもつ古墳であることが確認され、墳丘長九六メートル、墓域の全長一六八メートル、最大幅一四八メートルの規模であることが明らかになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「峯ヶ塚古墳」の意味・わかりやすい解説

峯ヶ塚古墳
みねがづかこふん

大阪府羽曳野(はびきの)市軽里2丁目にある古墳。羽曳野丘陵から東へ延びる尾根の、一段下がった扇状地上に分布する、古市(ふるいち)古墳群中の前方後円墳。1987年(昭和62)から92年(平成4)にかけて都市公園整備事業の一貫として、羽曳野市教育委員会が調査を行った。墳丘長96メートル、後円部高12.3メートル、葺石(ふきいし)および埴輪(はにわ)を伴い、二重の周堀(しゅうぼり)が確認された。遺骸埋葬施設は、後円部に4.5×2メートルの竪穴(たてあな)式石室があり、盗掘を受けているものの、鉄刀15振り以上(鹿角装、銀装含む)、鉄鏃(てつぞく)300点以上、刀子(とうす)、板状鉄製品、挂甲小札(けいこうこざね)多数、馬具(轡(くつわ)、鐙(あぶみ)、鞍(くら)、辻金具)、三叉形垂飾(さんさがたすいしょく)37点以上、魚佩(ぎょはい)3組、鈴、花形飾、玉(たま)類多数が出土した。盗掘坑より家形石棺片が出土している。後円部南斜面に閉塞石と考えられる石材の集中があり、横穴式石室の存在が予想されている。5世紀末から6世紀初頭の築造と考えられている。1974年国指定史跡。

大塚初重・遠竹陽一郎]

『羽曳野市教育委員会編『河内古市古墳群峯ヶ塚古墳概報』(1993・吉川弘文館)』

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国指定史跡ガイド 「峯ヶ塚古墳」の解説

みねがづかこふん【峯ヶ塚古墳】


⇒古市古墳群(ふるいちこふんぐん)

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