岩佐勝重(読み)いわさ・かつしげ

朝日日本歴史人物事典 「岩佐勝重」の解説

岩佐勝重

没年:延宝1.2(1673)
生年:生年不詳
江戸初期の画家。又兵衛勝以の嫡子として福井に生まれたという。通称は源兵衛。寛永14(1637)年2月父勝以が江戸へ発ったのちも福井にあって,藩のお抱え絵師格として絵事御用に従った。寛文9(1669)年福井の大火焼失した福井城が翌10年再建されたとき,鶴の間の襖絵として,金碧の「群鶴図」を描いた。「群鶴図屏風」(福井県立美術館蔵)はこの襖絵の遺品とみられる。さらに『越前人物誌』にはこのときの制作にかかる費用の見積書の写しが掲載されており,この時代の絵事御用の経費の算出法が分かる点で貴重な資料。代表作に前記「群鶴図」のほか,「職人尽図屏風」(鎌倉国宝館氏家コレクション蔵)がある。勝重の子陽雲以重も,父同様,福井藩に仕え,絵事御用を勤めた。

(榊原悟)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岩佐勝重」の解説

岩佐勝重 いわさ-かつしげ

?-1673 江戸時代前期の画家。
岩佐又兵衛長男。父にまなび,越前(えちぜん)福井藩につかえる。寛文9年福井城が焼失。その再建のさい鶴の間の襖絵(ふすまえ)「群鶴図」をかいた。寛文13年2月20日死去。通称は源兵衛。作品に「仁王図」「職人尽図屏風」など。

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