岡屋村(読み)おかやむら

日本歴史地名大系 「岡屋村」の解説

岡屋村
おかやむら

[現在地名]竜王町岡屋

小口おぐち村の南、田中たなか村・山之上やまのうえ村の西に位置し、南は甲賀郡下田しもだ(現甲西町)祖父そぶ川が中央を北流し、南・西は丘陵地帯。天禄三年(九七二)五月三日の天台座主良源遺告(廬山寺文書)に「岡屋庄一処」とみえる。それによると岡屋庄は藤原師輔より比叡山横川よかわ法華堂に寄進され、田地は一六〇町余。正和二年(一三一三)四月の勝手かつて神社の定置札写に「岡屋」の名がみられる。

慶長七年(一六〇二)当村のうち七〇〇石が本多成重領となる(東京大学史料編纂所所蔵文書)。元和六年(一六二〇)残り一千二八〇石余が旗本有馬領(同文書)。本多領分は寛永一三年(一六三六)に同氏が尾張藩主徳川氏の家臣となったため同藩領となり、両者の相給で幕末に至る。寛永石高帳では高一千九八〇石余、慶安二年書上によると田一千三六三石余・畑屋敷八八石余・永荒五二七石余。宝暦(一七五一―六四)頃には尾張藩領分の家数九五(高持六一・無高三四)、牛二二(「尾張藩江州領覚書」竜王町史)。明治二年(一八六九)には有馬領分の家数九三・人数三九八、牛三五(「村明細帳」岡屋区有文書)

岡屋村
おかのやむら

[現在地名]宇治市五ヶ庄

五ヶ庄ごかのしよう村内の西北部に位置し、西端は宇治川に接する。古代の岡屋郷(和名抄)とよばれた地で、山科郷古図(彰考館旧蔵)にみえる宇治郡七条六里「郡里岡屋里」にあたる。郡里の名称から郡衙の所在が考えられるが、その遺跡は未確認である。古代から中世における宇治郡大津、すなわち岡屋津もこの付近に比定されているが、豊臣秀吉による宇治川改修で地形が変容したため、正確な位置はわからない。

岡屋村
おがやむら

[現在地名]上下町岡屋

北から東を階見しなみ、西を井永いなが南西水永みずながなどの村々に囲まれた山間村。元禄一一年(一六九八)福山藩領より幕府領となり、享保二年(一七一七)以降豊前国中津藩領。寛政五年(一七九三)頃の当御領分明細帳(小掛敦祥氏蔵)によれば、総田畠三〇町七畝余で高一五三石余、うち田方一二町余で九二石余、畠方一七町余で六〇石余と畠の多い村であった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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