山谷新田村(読み)さんやしんでんむら

日本歴史地名大系 「山谷新田村」の解説

山谷新田村
さんやしんでんむら

[現在地名]戸塚区影取かげとり

東は城廻しろめぐり(現鎌倉市)飛地、南は大鋸だいぎり(現藤沢市)、西は東俣野ひがしまたの村、北は深谷ふかや村飛地と接する。東に丘があり、西は東海道沿いに人家と畑が連なる。全村高地で田地はほとんどなく、城廻村飛地のうちに飛地がある。東海道が大鋸町より西境を東北へ通じて東俣野村と分界をなし、深谷村飛地と東俣野村との境間を通る。元禄国絵図に村名がみえる。

皇国地誌によると、中世上村岡かみむらおか郷内玉縄たまなわ(現鎌倉市)のうちに属し荒原の地であったという。

山谷新田村
やまやしんでんむら

[現在地名]平田町山谷新田

楢橋ならはし村の東にあり、東は山谷村。相沢あいさわ川中流右岸の山間の村。西側山中には縄文時代の集落跡、山海さんかい西沢にしさわには奈良時代から平安時代にかけての窯跡がある。また新溜しんため湖底窯跡からは中世の炭窯跡一基が検出された。元和正保間石高調(飽海郡誌)によれば、元和一〇年(一六二四)から寛永一一年(一六三四)までの間に六二石余の新田を開き成立。寛永元年庄内高辻帳では高四五石余。正保三年(一六四六)の庄内三郡左沢浮役帳に、こあみ一網分として相沢川役銀五匁余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android