山舟生村(読み)やまふにゆうむら

日本歴史地名大系 「山舟生村」の解説

山舟生村
やまふにゆうむら

[現在地名]梁川町山舟生

舟生村の東、山舟生川の上流部に位置。山船生とも記す。東は伊具いぐ丸森まるもり(現宮城県丸森町)で、同村と梁川村を結ぶ街道が通る。延宝三年(一六七五)舟生村から分村して成立し、分村にあたって作成された入会や用水に関する取決め証文の写が残る(富野村郷土誌)領主の変遷は八幡やわた村と同じ。享保一六年(一七三一)の村明細帳(梁川町史)では、高九五六石余、家数一九四・人数八五五。四方がみな山地であり、全村の約七割を占める。田地は山舟生川の周辺に多い。水利はあまりよくなく、もっぱら山の沢を順に堰上げた二三ヵ所の堰と四ヵ所の溜池に依存していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報