朝日日本歴史人物事典 「山田いち」の解説
山田いち
生年:文久3(1863)
武蔵国足立郡針ケ谷村(浦和市)の兼業農家の主婦。明治後半から昭和にかけての関東の青果用甘藷の花形品種「紅赤」(東京では「金時」という)の発見者。明治31(1898)年秋,「八房」種の収穫中に皮が鮮紅色の芋を発見。親類で同村の篤農・種苗家吉岡三喜蔵が八房の突然変異したこの美味な芋を「紅赤」と命名し普及に努めたので,関東を中心に広まって「西の源氏,東の紅赤」とうたわれた。しかし作りにくいため,昭和の後半から激減した。<参考文献>青木雅子『紅赤ものがたり』
(井上浩)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報