山東・山西(読み)さんとう・さんせい

日本歴史地名大系 「山東・山西」の解説

山東・山西
さんとう・さんせい

中世の諸史料に散見する地名で、島津庄寄郡の一、飫肥北おびきた郷のうち。山東は鵜戸うど山地の東方、明治二二年(一八八九)に成立した東郷とうごう村の一帯に、山西は同山地の西方油津あぶらつ(油)星倉ほしくらを含む現在の日南市北西部から南那珂郡北郷きたごう町にかけての一帯に比定される。文保二年(一三一八)六月五日の日向在国司所職注文(土持文書)に在国司の得分として「飫肥東西三十貫文」とみえる。この内訳は山西地頭名六貫文(粮米六斗)・同別分一一貫文(粮米一石一斗)・山東分地頭名一貫二〇〇文・同別分名六貫五〇〇文(粮米六斗五升)で、飫肥東西とは山東・山西のことと考えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報