山村郷(読み)やまむらごう

日本歴史地名大系 「山村郷」の解説

山村郷
やまむらごう

和名抄」高山寺本・東急本・元和古活字本のいずれも訓を欠く。大和国添上郡山村郷の訓には、「也末无良」(東急本)・「也末無良」(元和古活字本)とあり、当郷も「やまむら」と称していたものであろう。

郷名の初見は、八世紀中頃の貢進仕丁歴名帳(正倉院丹裏古文書)に、「尾張連牛養年廿七尾張国春部郡山村郷戸主大初位下尾張連孫戸口」とあるもので、当郷からもこの時、仕丁が一人徴発されたことを示している。この歴名帳は、天平勝宝五年(七五三)六月一五日付の丹斤量定文を外包紙にもつ内包紙に記されており、故紙が再利用されることによって滅失を免れたものである。

山村郷
やまむらごう

「和名抄」刊本に「也末無良」と訓ずる。「大和志」は「方廃村存」として現奈良市やま町に比定。「日本書紀」欽明天皇元年二月条に「百済人己知部、投化けり。倭国の添上郡の山村に置む 今の山村の己知部の先なり」とあり、欠年の勘籍歴名(正倉院文書)に「大倭国添上郡山村郷」がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報