山室軍平(読み)ヤマムログンペイ

デジタル大辞泉 「山室軍平」の意味・読み・例文・類語

やまむろ‐ぐんぺい【山室軍平】

[1872~1940]宗教家日本救世軍創立者。岡山の生まれ。明治28年(1895)英国救世軍の来日を機に救世軍に入り、廃娼運動職業紹介・医療など社会福祉の向上に尽力した。社会鍋を創始。著「平民の福音」など。→救世軍

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精選版 日本国語大辞典 「山室軍平」の意味・読み・例文・類語

やまむろ‐ぐんぺい【山室軍平】

宗教家。岡山県出身。救世軍の日本における建設発展貢献司令官に任じられ、創立者章を受けた。社会鍋の発案、娼妓解放運動など、社会事業開拓。著「平民の福音」など。明治五~昭和一五年(一八七二‐一九四〇

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山室軍平」の意味・わかりやすい解説

山室軍平
やまむろぐんぺい
(1872―1940)

日本救世軍の創立者。日本の代表的大衆伝道者の一人。岡山県の農家に生まれる。1887年(明治20)上京して印刷工となり、キリスト教の街頭伝道に触れて入信する。苦学しながら新島襄(にいじまじょう)を慕って同志社に学ぶ。救世軍の事業たる労働者セツルメント廃娼(はいしょう)運動、禁酒運動、職業紹介、病院・療養施設などを通して社会福祉の向上に大きな貢献をした。山室創意による社会鍋(なべ)の相互扶助募金活動は、現在でも大都市の歳末風物詩として広く親しまれている。彼の意図は、キリスト教の福音(ふくいん)を下層労働者、一般庶民に、具体的・現実的方法によって伝えようとするものであった。その多くの著作も単純平易な福音の力強い説き明かしを特徴とする。代表作に『平民の福音』(1899)、『山室軍平選集』10巻、別巻1。

[金井新二 2018年3月19日]


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改訂新版 世界大百科事典 「山室軍平」の意味・わかりやすい解説

山室軍平 (やまむろぐんぺい)
生没年:1872-1940(明治5-昭和15)

宗教家。日本における救世軍の建設・発展に尽くした。岡山県の山村に生まれ,上京して活版工となり,キリスト教の路傍伝道に導かれて15歳のとき入信,徳富蘇峰から新島襄を知り,17歳から22歳まで同志社で苦学して神学を学んだ。いったん伝道師となったが,23歳で救世軍に入り,その下足番から発足して,全生涯を救世軍の発展に献身し,東洋最初の救世軍司令官に任ぜられ,世界にも数少ない中将に昇進した。彼の説教は熱弁かつ重厚,つねに人の肺腑をつく迫力をもって知られ,平明にして庶民の実生活に即したその著《平民の福音》は実に490版を重ねた。神と人道のために,身を低くして奉仕に徹して生きた彼の軌跡は,同志社の同僚留岡幸助と並んで,社会事業開拓活動のひろい分野に及び,廃娼運動,児童保護,職業紹介,結核療養など,終始一貫,貧しき者の友として働いた。
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朝日日本歴史人物事典 「山室軍平」の解説

山室軍平

没年:昭和15.3.13(1940)
生年:明治5.8.20(1872.9.22)
救世軍日本司令官。岡山県哲多郡則安村(哲多町)の中農の家に生まれる。幼少のころ,家が貧窮し養子に出される。明治19(1886)年養家を出奔し,築地活版製造所で印刷工として働く。同20年基督教の路傍伝道に接して入信。築地の伝道学校を経て同志社に学ぶ。信仰上の救いと現実生活の関係をめぐって苦悩するなか,岡山で石井十次に出会う。同志社を中退し,岡山孤児院の手伝いなどをしたのち,同28年に救世軍入軍。以後,廃娼運動,セツルメント事業などに尽力。大正15(1926)年には救世軍司令官となった。この間,明治33年に遊郭側の暴力団に襲われる事件が発生したが,新聞界の支援を受け廃唱運動は広がった。明治32年に刊行した主著『平民の福音』は立志伝・職分論でもある。救世軍士官に任命されたとき,月6円で生活できるからと,8円の月給を辞退した生真面目な人。『山室軍平選集』がある。<参考文献>三吉明『山室軍平』

(篠崎恭久)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山室軍平」の意味・わかりやすい解説

山室軍平
やまむろぐんぺい

[生]明治5(1872).8. 岡山
[没]1940.3.13. 東京
宗教家。 14歳のとき上京して印刷工となり,16歳の頃キリスト教に入信。苦学しながら同志社英学校で神学を学び,卒業後,岡山孤児院で働き,伝道に努めた。 1895年に来日したイギリス救世軍司令官 E.ライトを訪問,のち入隊し,日本救世軍の創設に力を尽した。 1915年日本救世軍司令官となり,伝道に従事しつつ,廃娼運動,免囚保護,貧民救済,医療保護,職業紹介などの社会事業に貢献した。著書『平民の福音』 (1899) など。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「山室軍平」の解説

山室軍平
やまむろぐんぺい

1872.7.29/8.20~1940.3.13

明治~昭和前期の宗教家。救世軍日本司令官。岡山県の農家に生まれ,上京し活版工のとき路傍伝道を聞き感動し入信。1889年(明治22)新島襄を慕って同志社入学。濃尾地震のとき石井十次(じゅうじ)の孤児救済活動に協力。95年創立まもない救世軍に入隊,1926年(昭和元)日本司令官に就任。娼妓自由廃業・労働紹介所設置・慈善鍋運動・療養所設置など貧民救済や人権保護に尽力した。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山室軍平」の解説

山室軍平 やまむろ-ぐんぺい

1872-1940 明治-昭和時代前期の伝道者。
明治5年8月20日生まれ。東京で印刷工のときキリスト教に入信。伝道学校をへて同志社でまなぶ。明治28年救世軍にはいり,大正15年日本人初の司令官となる。明治33年廃娼運動を,42年歳末慈善鍋を開始したほか職業紹介,児童保護,結核療養所建設などの社会事業につくした。昭和15年3月13日死去。69歳。岡山県出身。著作に「平民の福音」など。

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百科事典マイペディア 「山室軍平」の意味・わかりやすい解説

山室軍平【やまむろぐんぺい】

日本救世軍の創立者。岡山県出身。農家に生まれ,印刷工となったが,路傍伝道をきいて入信,同志社に学んだ。救世軍が日本に伝わると直ちにこれに加わり,日本救世軍の形成発展に生涯を捧げた。機関誌《ときのこえ》を編集。《平民之福音》等著作多数。廃娼運動,児童保護,結核療養などにも尽くしたほか,社会鍋は彼の発案による。

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旺文社日本史事典 三訂版 「山室軍平」の解説

山室軍平
やまむろぐんぺい

1872〜1940
明治〜昭和期の宗教家。日本救世軍の創立者
岡山県の生まれ。印刷工出身。同志社で苦学して神学を学ぶ。救世軍に入って,その建設拡大に終生努力し,東洋で最初の救世軍司令官になる。貧民伝道・社会事業に活躍した。

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世界大百科事典(旧版)内の山室軍平の言及

【救世軍】より

…在来の教会では対処しえない社会的ニーズに即応するその進撃的態度は,めざましい活力を発揮し,ロンドンに万国本営を置き,各国に本営,連隊,小隊,分隊等の組織をもつ国際的団体へと発展した。 1895年,ライト大佐一行の来日によって日本救世軍が創立され,《ときのこえ》を発刊し,山室軍平がその最初の士官候補生として挺身した。その教義の特色は改悛による聖潔生活の厳守にあり,霊魂の不滅,からだのよみがえり,世の終りの総審判,正しき者の永遠の幸福および悪しき者の永遠の刑罰を信ずるオーソドックス信仰に拠っている。…

※「山室軍平」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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