禁酒運動(読み)きんしゅうんどう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「禁酒運動」の意味・わかりやすい解説

禁酒運動
きんしゅうんどう

飲酒をやめよう、また慎もう、あるいは酒の製造販売などを禁止させようとする運動。それを裏づける動機はさまざまで、それによって運動の性格や目的にもかなりの差がある。禁酒の試みは、人類が酒をもったと同時に始まったといえる。紀元前8世紀のヘブライの預言者ホセアHoseaは、酒におぼれる人たちを「心臓をとられた人」として攻撃しているし、前6世紀の同じヘブライの預言者エレミヤJeremiahは、飲酒を嫌って反対行動をおこした人たちを賞賛したという記録が残っている。このあたりが史実に残る禁酒運動の始まりであろう。しかしこれらの運動の動機は、健康上の害というより、酒が人間の正常な言動や良識を狂わすためという意味が強く、19世紀末くらいまでは、酒はむしろ霊薬のように考えられる傾向が強かった。

 酒には健康上からも害があるとはっきり考えられるようになったのは19世紀に入ってからである。1804年イギリスのトロッターB. Trotter、アメリカのラッシュBenjamin Rush(1745/1746―1813)がほぼ時を同じく酒の害を論ずる著書を発表し、以後禁酒運動は急速に高まって、1808年にはアメリカ、ニューヨーク州で、教会の主導のもとに宗教的色彩の強い最初の禁酒運動団体がつくられた。ヨーロッパでは1818年にアイルランドで、1831年にはロンドンでも同様の団体ができ、こうした団体の強力な働きかけの結果、1885年には禁酒運動最初の国際会議が開かれた。

 禁酒運動のなかで特筆すべきは、1920年より実施されたアメリカの禁酒法である。これによって領土内でのアルコール飲料の製造から販売に至るすべてが禁じられた。この背景には、飲酒による社会的、健康的弊害ばかりでなく、第一次世界大戦に入って、醸造の原料となる穀類の節約、ビールをつくるドイツ人への反感というような別の動機も働いていたが、この結果は、密造、密売の跋巵(ばっこ)によるギャング犯罪などの横行であったことはよく知られている。このため同法は1933年に廃止され、酒を禁ずることの困難さを世界中の人に教える結果になった。以後、禁酒運動は禁酒法以前のような高まりはみせていないが、インド、スリランカ、イスラム諸国などは宗教的理由からの禁酒国であるし、アメリカでは州によって酒の販売を禁止したり、時間制限をしたりしている。

 日本においても禁酒の始まりは古い。法令として646年(大化2)に諸国の農民に酒と肉を禁じたという記録がある。これには宗教的意味合いもあるが、酒の原料である主食類の節約が主眼であったことは、737年(天平9)、806年(大同1)の飢饉(ききん)の際に禁酒令が行われていることでもわかる。日本で禁酒運動を公に始めたのはクリスチャンの安藤太郎(1846―1924)で、1890年(明治23)日本禁酒同盟会を組織、以後、運動はキリスト教的色彩を強くした。そのためもあって運動は分裂したが、1920年(大正9)には合体して日本国民禁酒同盟となった。また法律による規制は、政治家根本正が酒類に関する法律の制定促進を熱心に運動し、1922年に「未成年者飲酒禁止法」(2022年〈令和4〉「二十歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律」に法律名を変更)が実施された。その成立の主旨は、全面的禁止は事実上不可能であるから、ともかく未成年者の飲酒を禁じて、将来の飲酒を防ごうという意図のほうが強かった。日本国民禁酒同盟は第二次世界大戦後は解散してまた各種団体に分かれた。戦後、飲酒の習慣はますます一般化し、また欧米と違って宗教的禁制感も薄いため、禁酒運動も柔軟化し、「断酒友の会」のように、禁酒を強く推し進めるよりも、まず節酒を、そしてすでに害を覚えている人たちには断酒を勧めようという方向にある。

[梶 龍雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「禁酒運動」の意味・わかりやすい解説

禁酒運動
きんしゅうんどう
Prohibition

アメリカの社会運動。法律的措置によるアルコール飲料の製造販売と輸送の禁止を求める運動で,節酒運動 Temperance Movementの政治的表現としての性格をもつ。 1919年1月の連邦憲法第 18回修正に際して国家的規模で禁酒法が採択されたが,33年 12月の第 21回修正において同規定は廃止された。禁酒運動は節酒運動とともにアルコール飲料に対するアメリカの大衆の社会的見解の枠組みに規定された動き方を示し,大衆の一般世論の動向と微妙に対応した消長をたどっている。節酒運動の最初の意味であった飲料節制の考え方が,19世紀第2四半期の間に飲料禁止と同じ意義に転化してしまい,節酒の語はアルコール飲料反対の一般的表現となり,禁酒運動は,法律的禁止措置によるアルコール飲料禁止を要求する政治運動を意味することになった。 1820年から節酒運動が組織化され,26年アメリカ節酒促進協会が設立され,南北戦争後の 69年国民禁酒党が組織された。 74年には婦人キリスト教節酒連盟 WCTUが発足。 50年代,州の立法による禁酒法採用は少数の州のみにとどまったが,90年代には6州が州法による禁酒法を定め憲法修正を要求した。 1906年以降,国家的規模の禁酒法導入の要求が高まり,第1次世界大戦後の排外主義,赤狩り,ファンダメンタリズムの運動とも結びついてアメリカ社会のプロテスタント的感情をてこに 19年に立法をみた。しかし,酒の密造,密輸などその弊害も大きくなり 33年に廃止された。

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百科事典マイペディア 「禁酒運動」の意味・わかりやすい解説

禁酒運動【きんしゅうんどう】

人体を酒害から守り,同時に酒害から発生するさまざまな社会問題を除去していこうとする運動。19世紀初期から20世紀初期に米国,英国で特に盛んで,ピューリタニズムの道徳思想を背景に,法的規制措置をめざす運動が展開された。英米とも,18世紀にジンウィスキーなどの高いアルコール度の蒸留酒が急速に普及し,産業社会初期の労働者の貧困をその飲酒癖によるものとする見方が有力なものとなったため,禁酒・節酒運動は,博愛主義的な社会改良運動の一環として展開された。米国ではこの運動は,各州の禁酒法に結実する。日本でも明治20年代から運動が起こり,1922年には未成年者禁酒法が成立した。

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世界大百科事典 第2版 「禁酒運動」の意味・わかりやすい解説

きんしゅうんどう【禁酒運動】

過度の飲酒にたいする戒めの歴史は酒の歴史とともに始まったようで,古代オリエントについてすでにそうした記録がある。飲酒の行為はもともとは宗教行為と密接な関係にあったが,飲酒がしだいに日常化するにつれて酒の弊害は広く社会問題になっていった。そして近代社会になると禁酒ないし節酒を目的とする組織が結成され,個人の意識を啓蒙する,あるいは立法府に働きかけてなんらかの規制措置をとらせようとする運動が生まれた。この運動がとくに盛んになるのは19世紀の初めから20世紀の初期までで,その中心になったのがイギリスとアメリカであった。

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