山原村(読み)やまのはらむら

日本歴史地名大系 「山原村」の解説

山原村
やまのはらむら

[現在地名]川西市山原一―二丁目・みどりおか一―二丁目・山下町やましたちよう笹部ささべ一丁目・一庫ひとくら一丁目・東畦野ひがしうねの六丁目・山原

下財屋敷げざいやしき・山下町の西に位置し、丘陵地と低地からなる。

〔中世〕

多田ただ庄のうち。貞治二年(一三六三)六月五日の佐々木道誉寄進状(多田神社文書)に「多田庄内山原村」とみえ、村内の本田・新田年貢を多田院に寄進している。このとき山原村境は、東は橋谷山仙尾道・辰巳出合東、南はクホノ大道・未申黒クイせ南峰、西はニシノ甲山峰・戌亥馬場尾西山峰、北は大松平井ノシハツイチ・丑寅カマせの高峰と定め、政所本田方寺倉師秀と新田方海老名忠信が連署して多田院に打渡している(同年六月一二日「両政所寺倉師秀・海老名忠信連署打渡状」同文書)。応安二年(一三六九)山原村はもと紫合ゆうだ(現猪名川町)の奥林頭役の料所であったが、多田院領となったので多田院惣社御役料所と定められ、翌三年多田院本寺領のごとく殺生禁断が命じられた(同二年一二月一八日「政所沙弥宗光書下」・同三年一〇月三日「佐々木道誉書下」同文書)

山原村
やんばらむら

[現在地名]清水市山原・下野北しものきた下野中しものなか下野西しものにしはち谷南町やみなみちよう

蜂ヶ谷村の北東、庵原丘陵南端の山原山から南流する山原川の流域にあり、集落は同川が形成した扇状地の扇頂部に発達する。「梅花無尽蔵」に文明一七年(一四八五)九月二四日条によると誓願せいがん(現静岡市)を出立した万里集九は「山原善応寺」に赴いている。善応ぜんおう寺は蜂ヶ谷にある寺で、古くは同所辺りまで山原といったか。天文七年(一五三八)六月一二日の今川義元寺領充行判物(長福寺文書)に山原長福ちようふく寺とみえ、当地の長福寺領が英蔵司に宛行われている。江戸時代の領主変遷押切原おしきりばら村に同じ。

山原村
やまはらむら

[現在地名]磯部町山原

池田いけだ川と地蔵じぞう川の合流点にあり、東に迫間はさま村、西は檜山ひやま村のくり木広きひろ新田に接する。天文二三年(一五五四)一二月一九日付の伊雑宮仮殿御造営注文(「志摩国旧地考」所引)に「ひやま山原両郷より三百文にて候」とあり、山原が伊雑宮の造営にかかわっていたことが知られる。近世は和歌山藩領で、伊勢国度会わたらい郡に属する。天保郷帳では「古者山原村夏草新田二カ村」、「勢国見聞集」(内閣文庫蔵)には「新田夏草」とあるが「志摩国旧地考」では夏草なつくさを檜山の属邑としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

排外主義

外国人や外国の思想・文物・生活様式などを嫌ってしりぞけようとする考え方や立場。[類語]排他的・閉鎖的・人種主義・レイシズム・自己中・排斥・不寛容・村八分・擯斥ひんせき・疎外・爪弾き・指弾・排撃・仲間外...

排外主義の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android