屋良村(読み)やらむら

日本歴史地名大系 「屋良村」の解説

屋良村
やらむら

[現在地名]嘉手納屋良やら久得くどくひがし

嘉手納かでいなー村の東に位置し、北は比謝ひじや川、南は耕地背後屋良グスクを擁する。「おもろさうし」に「やら」とみえ、絵図郷村帳に屋郎村とある。琉球国高究帳では屋良村とみえ、高頭三八四石余、うち田六五石余・畠三一九石余。雍正一三年(一七三五)の重出米のうち粟での上納高は六石余(琉球産業制度資料)。東の屋良ムルチ(漏池)には一三世紀半ばに大蛇が出現したという伝説がある(中山伝信録)。拝所には屋良城やらぐすく之嶽・ムロキノ嶽・屋良之殿があり、屋良之殿では麦二祭に地頭・百姓中が五水・神酒、稲二祭に地頭・百姓中が五水・神酒・シロマシを供えて野里ノロが豊作を祈願した(琉球国由来記)。近世期に屋宜原やーじばる屋宜やーじ野理原のーりばる(ヌーリバル)に野理原、近代初期に伊金堂原いきんどーばる伊金堂いきんどー深田原ふかだばる長田原ながたばる久得くどうくの各屋取集落が形成された。一八八〇年(明治一三年)の県統計概表では戸数二五五・人数一千一二九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報