少弐満貞(読み)しょうに みつさだ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「少弐満貞」の解説

少弐満貞 しょうに-みつさだ

1394-1433 室町時代武将
応永元年生まれ。少弐貞頼(さだより)の子。筑前(ちくぜん)守護。応永26年九州探題の渋川義俊(よしとし)らと朝鮮による対馬(つしま)侵入をしりぞける(応永の外寇(がいこう))。30年義俊を博多(はかた)から追う。永享3年大友持直らと大内盛見(もりみ)を討つが,5年大内持世(もちよ)らに攻められ同年8月19日自刃(じじん)。40歳。法名は千里本勝。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の少弐満貞の言及

【九州探題】より

…了俊解任により,渋川満頼が九州探題に任命され,以後,代々渋川氏(満頼,義俊,満直,教直,万寿丸など)が当職につき,一族・被官などを使って日鮮交渉に努めたりする。しかし早くも義俊のとき,1423年(応永30)少弐満貞に敗れてから,探題勢力は急速に衰え,その拠点筑前を失い,東肥前の一局地勢力にすぎなくなり,その存在意義を失ってしまう。室町幕府【山口 隼正】。…

【筑前国】より

…また渋川氏一族や被官は1419年の応永の外寇を契機として,頻繁に朝鮮通交を行い,博多商人を基盤として貿易を行った。しかし通交の活発化も一時的なものに終わり,23年には渋川義俊が少弐満貞に敗れ,肥前国に退去せざるをえなかった。没落した九州探題渋川氏にかわって進出してきたのが隣国豊前の守護でもあった周防の大内氏である。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」