小鷹刑場跡(読み)こたかけいじようあと

日本歴史地名大系 「小鷹刑場跡」の解説

小鷹刑場跡
こたかけいじようあと

[現在地名]盛岡市南仙北一丁目

江戸時代の仙北組せんぼくくみ町南端の枡形の南四町ほどの地にあった刑場跡。向中野むかいなかの村のうちで、俗に殺生場と称された。「増補行程記」には、奥州街道の東側に「小鷹ノ斬罪場」とある。「盛岡砂子」によると、かつて街道の東に数軒の家があり、古屋と号する屋敷に大きな杉の古木があって、鷹が巣を造って子育てを行っていたため小鷹村と称され、文政一〇年(一八二七)頃に杉は伐採されたという。刑場の設置年代は不明であるが、盛岡藩の文化律(県立図書館蔵)の規定によると、重罪人は城下を引回しのうえ小鷹刑場で磔となり、また斬首のうえ獄門にかけられた。処刑は明治四年(一八七一)まで行われた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報