小泉次大夫(読み)こいずみ・じだゆう

朝日日本歴史人物事典 「小泉次大夫」の解説

小泉次大夫

没年:元和9.12.8(1624.1.27)
生年天文8(1539)
江戸初期の代官。名は吉次。今川義元の家臣植松泰清の長男(養子ともいう)。今川氏滅亡後,徳川家康に臣従し小泉姓を賜った。天正18(1590)年,関東入国後,武蔵国橘樹郡小杉陣屋(川崎市)を拠点に幕領を管轄する。慶長2(1597)年多摩川流域を巡見,右岸の二ケ領用水(川崎市),左岸六郷用水(東京都)の測量を開始。同6年に稲毛・川崎代官に任ぜられた。10年,幕領のほか,私領の人夫を徴発する権限も与えられ,14年には両岸の用水本流工事を竣工,16年には小堀の分水工事も完了。この工事には女子を参加させたことで,俗に女堀ともいう。これらの功により開発地の10分の1が給与された。妙遠寺(川崎市)に夫妻の墓と明治期に建てられた功徳碑(1889)がある。<参考文献>小泉次大夫事績調査団編『小泉次大夫用水史料』,『太田区史』中

(村上直)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小泉次大夫」の解説

小泉次大夫 こいずみ-じだゆう

1539-1624* 織豊-江戸時代前期の武士,治水家。
天文(てんぶん)8年生まれ。徳川家康につかえる。多摩川左岸の世田谷・六郷領と右岸の稲毛・川崎領への用水の開削進言,慶長2年工事をはじめる。6年稲毛・川崎領代官となる。16年工事を完成させ,本田新田の10分の1をあたえられた。元和(げんな)9年12月8日死去。85歳。駿河(するが)(静岡県)出身。名は吉次(よしつぐ)。

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