小楠村(読み)おぐすむら

日本歴史地名大系 「小楠村」の解説

小楠村
おぐすむら

[現在地名]武雄市武雄町富岡とみおか字小楠

武雄盆地の北西の低丘陵にある。

建武五年(一三三八)六月二八日の橘薩摩幸連譲状案(橘中村家文書)に「ゆつりわたすひこいちかところに、肥前国なか嶋の庄はなしまのうちとき国ミやうこやくミやうのうち六丁かちやう也」とある小薬こやく名がこの村をさすと思われる。正保絵図に村名がみえる。

村のほとんど全域に甕棺群集墓と古墳が点在している。弥生時代の初めから稲作が行われていたとみられ、山間山麓で生活していた縄文時代人が移住してきたものと考えられている。

小楠村
おぐすむら

[現在地名]額田町小久田おくだ

おと川支流の毛呂けろ川右岸を北に向かう里道の奥に集落が立地する山間の村。東は上毛呂村・下毛呂村、西南名之内なのうち村、北は桃久保ももがくぼ村と各々山で接する。中世日近ひちか庄に属するという。日近郷一二ヵ村の一つで、鎌倉末期より比志賀ひしか郷内として高氏領にあったと考えられる。永仁四年(一二九六)に高心仏より稲荷女房に譲渡され、総持そうじ(現岡崎市)領になり、その後奥平氏の勢力圏に入る。天正一八年(一五九〇)に岡崎城主田中吉政領、慶長六年(一六〇一)に岡崎藩領に編入、宝暦一二年(一七六二)には幕府領に替わる。明和七年(一七七〇)より再び岡崎藩領に戻って明治に至る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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