小敷田村(読み)こしきだむら

日本歴史地名大系 「小敷田村」の解説

小敷田村
こしきだむら

[現在地名]行田市小敷田

東は中里なかざと村、北は池上いけがみ(現熊谷市)、南はおし川を隔てて持田もちだ村に対する。古墳時代後期から平安時代に至る集落遺跡があり、また水田下には広く条里遺構が埋まっているとみられる。当村はもと池上村の新田で、「寛文朱印留」に初めて村名が表れるが、池上村の飛地にあった普門ふもん寺は中世には施無畏せむい寺と称し、延慶三年(一三一〇)鋳造の鐘は忍城で陣鐘として使用したので有名であった(武蔵志・風土記稿)。鐘は移封に際して藩主阿部家が陸奥国白河しらかわ(現福島県白河市)へ持去ったが(北武八志)、「武蔵国崎西郡池上郷施無畏寺冶鋳梵鐘一枚」と記す鐘銘の拓本は東京国立博物館に蔵されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報