小川子村
こがわこむら
[現在地名]婦中町富川
井田川と山田川の合流点のやや上流で、牛ヶ首用水と井田川が交差する地点に位置し、北は牛ヶ首用水を挟んで小野島村、南は下吉川村、地名の由来は古代の小子郷の遺名といわれる(三州志・婦負郡志)。小賀子も小川子のことと思われ、正宗竜統の詩文集「禿尾長柄帚」所載の天祥一麟に関する「一庵大禅師行状」に、京都建仁寺内の塔頭霊泉院の末寺として「越中州小賀子光明寺」の寺名がみえる。天祥一麟は関白九条道教の子で、法灯派から黄竜派に転じた僧で、応永一四年(一四〇七)没。光明寺については不詳だが、天祥一麟の経歴などからみて、婦負郡の中心地点にあった重要禅宗寺院としてよいだろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報