小島藩陣屋跡(読み)おじまはんじんやあと

日本歴史地名大系 「小島藩陣屋跡」の解説

小島藩陣屋跡
おじまはんじんやあと

[現在地名]清水市小島本町

小島集落の東部、興津おきつ川右岸の河岸段丘上に築かれた小島藩滝脇松平氏の陣屋。滝脇松平氏は大給松平氏の支族で、上総・常陸で一千二〇〇石を領していた。旗本滝脇重信は明暦二年(一六五六)駿府城代となり、加増されて駿河国有渡うど安倍あべ・庵原三郡のうちで五千石を領することとなった。その養嗣子信孝は天和二年(一六八二)上野国勢多せた山田やまだ二郡のうちで一千石を加増され、元禄二年(一六八九)には若年寄昇進、武蔵国埼玉さいたま、上野国勢多・山田・邑楽おうらのうちで四千石を加増され、禄高は合せて一万石となり、大名に列した。信孝の養嗣子信治は同一一年上野・武蔵両国の知行地を前述駿河三郡のうちに移されると、宝永元年(一七〇四)当地に陣屋を設け、領地を統治することとなった。以後、小島藩主は信嵩・昌信・信義・信圭・信友・信賢・信進・信書・信敏と継いで幕末を迎える。この間、藩領三〇ヵ村(相給を含む)のうち庵原郡の小島・小河内こごうち中河内なかごうち清地きよじ布沢ぬのざわ谷津やつ吉原よしわら広瀬ひろせ村を山方九ヵ村、残る駿府周辺、有渡・安倍・庵原三郡の村々を府辺二一ヵ村と称し、それぞれに触元名主をおいて支配した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報