小峰郡(読み)こみねぐん

日本歴史地名大系 「小峰郡」の解説

小峰郡
こみねぐん

室町期よりみえる対馬の郡。峰郡の西部を称したようであるが、郡名を付さずに「小峰」とする場合も多い。応仁三年(一四六九)「小峯郡」の「船公事」「下人売口買口」を含む峯の大掾満家跡が畔蒜助五郎に安堵された(同年六月二〇日「宗貞国書下」三根郷給人等判物写、以下同判物写)。文明四年(一四七二)「小峰郡くち木之内中原之跡田畠」の「てらのした」「せきのもと」や「ほしこゑのうへのはたけ」「こむろのさへのおくのこは」「ひらくすのまへ田」など一五ヵ所の知行が宗助次郎に、「てらのした」「こむろのさへのく」など一六ヵ所の知行が宗孫太郎に安堵されている(同年九月二日宗貞国安堵書下など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報