小屋町(読み)こやまち

日本歴史地名大系 「小屋町」の解説

小屋町
こやまち

[現在地名]佐野市久保町くぼちよう相生町あいおいちよう高砂町たかさごちよう万町よろずちよう伊賀町いがちよう朝日町あさひちよう大和町やまとちよう亀井町かめいちよう金屋下町かなやしもちよう大祝町だいしゆくちよう金吹町かなふきちよう若松町わかまつちよう天神町てんじんちよう

佐野川の左岸に位置し、西・南は天明てんみよう町。例幣使街道が東西に走り、天明宿の一部をなす。慶長七年(一六〇二)佐野信吉春日岡かすがおか築城の際、当地に普請小屋を掛けたことから天明村を分村して小屋村が開かれたという(地誌取調)。寛永一〇年(一六三三)近江彦根藩領となり幕末まで続く。慶安郷帳には小屋村とみえ、田高一四石余・畑高六三四石余、光明こうみよう寺領一〇石がある。明暦二年(一六五六)の居屋敷検地帳(佐野市史編纂室蔵)では居屋敷は二七五筆で二三町二反余。

小屋町
こやまち

[現在地名]倉吉市鍛冶町かじまち二丁目

江戸期の町人町鍛冶小屋かじこや町とも記し(弘化三年「倉吉岩倉町間数図帳」倉吉博物館蔵)、稲扱千歯鍛冶の多い職人町であった。東の鍛冶町から西へ延びる往来(八橋往来・備中往来)の両側町で、北は広瀬ひろせ町、西は鉢屋はちや川を挟んで河原かわら町、南は余戸谷よどだに村。寛延(一七四八―五一)頃の倉吉絵図(県立博物館蔵)町名がみえ、竈数二九。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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