小中尾村(読み)こなこうむら

日本歴史地名大系 「小中尾村」の解説

小中尾村
こなこうむら

[現在地名]椎葉村下福良しもふくら くわ木原きばる

大中尾おなこう村の南西山腹に位置する。下福良掛三九ヵ村の一つで、下福良組に属する。日向国覚書に椎葉山之村形の一村として小中尾とみえる。延享三年(一七四六)に検地竿入がなされ、畑一反余(高一斗余)が打出された(天明元年「椎葉山高反別取米一村限帳控」内藤家文書)。宝暦五年(一七五五)の下福浦村組焼畑見取御年貢米代銀上納帳(同文書)では「黒尾山」に焼畑二枚・二七歩があり、その年貢米二合余・代銀一分余。文政一一年(一八二八)には焼畑高が本高に入れられ、天保九年(一八三八)の椎葉山村々高覚(相良家文書)では高一斗余。

小中尾村
こなかおむら

[現在地名]阿南町西条にしじよう 小中尾

村の西端を遠州往還が通る。北は鴨目かもめ村・門原もんばら村、東は大森平石おおもりひらいし村・大平大那木おおびらおおなぎ村、南は田上吉田たがみよしだ村、西は門原村に接する。

天文一〇年(一五四一)関氏の所領となり、同一三年下条領、天正一五年(一五八七)飯田城代菅沼氏預り所、同一九年京極氏知行所、慶長六年(一六〇一)小笠原氏預り所、元和三年(一六一七)脇坂領、天和元年(一六八一)美濃高須藩松平氏の飛領地となる(長野県町村誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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