寺畑城跡(読み)てらはたじようあと

日本歴史地名大系 「寺畑城跡」の解説

寺畑城跡
てらはたじようあと

[現在地名]久世町久世

久世神社前から小谷おだにを経ると、興善こうぜん寺の奥院である通称おたき様があり、その南の寺畑山(五四〇・四メートル)頂上に築かれた山城大寺畑おおてらはた城ともいう。久世の平野部の北西篠向ささぶき城と高田たかた(現勝山町)の中間にあたる。本丸西方の出丸からなり、石塁・土塁・堀切の跡などが残る。「作陽誌」には寺畑堡とあり、小寺畑城の存在も伝えている。築城年代は明らかでないが、高田城主三浦貞久の武将牧兵庫の築城したものと考えられている。同書に天文一六年(一五四七)、永禄一二年(一五六九)の牧兵庫の子官兵衛に宛てた三浦貞久感状などが収められている。

篠向城と同じく天正(一五七三―九二)の頃に毛利・宇喜多両陣の戦乱に巻込まれ、同四年三浦貞広の拠城高田城は毛利氏の攻撃を受け開城したが、この時官兵衛は宇喜多直家にしたがって、当城を守ったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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