宮荘村(読み)みやのしようむら

日本歴史地名大系 「宮荘村」の解説

宮荘村
みやのしようむら

[現在地名]宇土市宮庄みやのしよう

南東は石橋いしばし村、西は山越しで網引あびく村、北は飯塚いいづか村に接し、北は高く西・南・東は平坦な地形である。村の中央に居屋敷いやしき北東馬場下ばばした南西とどろき耳取みみとり、西に芥神あくたがみ北西北平きたびらなどの字地がみえる(郡村誌)。慶長国絵図に「宮庄村」とみえ、近世は郡浦手永に属した。正保郷帳では田方一六〇石三斗余・畠方一五五石一斗余。「国誌」に「三蔵谷ト云小村アリ」とあり、天保八年(一八三七)の郡浦手永略手鑑によると竈数三五・人数一七九・役男三三、本方四〇七石一斗余、田一〇町三畝余・畑七町四反七畝余、永荒田畑二町五反八畝余、諸開六反八畝余と茶床がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報