宮奥村・上宮奥村・下宮奥村(読み)みやのおくむら・かみみやのおくむら・しもみやのおくむら

日本歴史地名大系 の解説

宮奥村・上宮奥村・下宮奥村
みやのおくむら・かみみやのおくむら・しもみやのおくむら

[現在地名]大宇陀町大字宮奥・下宮奥

関戸せきど村西方、宇陀川上流の谷間に所在。西方のおお峠から式上郡針道はりみち(現桜井市)経由、多武峯とうのみね方面に通じている。慶長郷帳・寛永郷帳には「宮ノ奥村」とみえ、ほかの年次の郷帳には「宮奥村」とみえる。慶長郷帳にみる村高は一四六・二九石。慶長六年(一六〇一)松山藩(福島高晴)領。元禄八年(一六九五)幕府領となる。元禄検地による村高は一六五・三五一石。

別に式上郡の宮奥村は慶長五年戒重藩(織田有楽斎長益)領となり、元和元年(一六一五)柳本藩(織田尚長)領となる。村高二〇六・七石。元禄期の国絵図改の結果、元禄一二年閏九月に宇陀郡に編入され、上宮奥村(村高九四・一三石)、下宮奥村(村高一一二・五七石)に分割された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android