宮古島蔵元跡(読み)みやこじまくらもとあと

日本歴史地名大系 「宮古島蔵元跡」の解説

宮古島蔵元跡
みやこじまくらもとあと

[現在地名]平良市西里

古琉球から一八九七年(明治三〇年)まで宮古島全体の行政をつかさどった役所の跡。漲水ぴやるみず御嶽の斜め向かいに置かれていた。雍正旧記には御蔵元とあり、「酉の方に向フ下里東仲宗根両村之境西方の礒崖ニあり」と記される。オヤケアカハチ事件後、弘治年間(一四八八―一五〇五)後半に仲宗根豊見親が仕上世蔵・船手蔵を造営したのが(忠導氏正統家譜)、蔵元の始まりとされる。御物蔵もこのとき造営されたという(御嶽由来記)。嘉靖元年(一五二二)宮古島の支配者の名称が豊見親から大首里大屋子となり(忠導氏正統家譜・宮古島在番記)、琉球王府の機構に組入れられた。頭は、当初平良大首里大屋子一人であったが、一六世紀中頃下地大首里大屋子が設けられて二頭制となり、万暦三七年(一六〇九)砂川大首里大屋子が設けられ三頭制となった(「球陽」尚寧王二一年条など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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