宮ノ尾(読み)みやのお

日本歴史地名大系 「宮ノ尾」の解説

宮ノ尾
みやのお

[現在地名]美祢市大嶺町東分

大嶺おおみね南東、宮ノ尾(下領しもりよう台地とよばれる小丘上にある集落。東を厚狭あさ川が南流する。

当地は、中世大嶺の地を上下二地域に分けたその上領かみりよう・下領の境界とされ、北の於福おふく村境までが上領、南の厚保あつ村境までが下領の地といわれる。

なお、宮ノ尾の土井の前どいのまえに、厚東氏の家臣で大嶺の地頭であった由利氏の居館があった。由利氏は「正慶乱離志」によれば正慶二年(一三三三)南北両朝軍の大嶺の戦に加わり、南朝方となった一人である。そのほか由利氏を名乗る者としては、建武三年(一三三六)筑前多々良浜たたらはまの戦に勝って大宰府(現福岡県筑紫郡太宰府町)に入った足利尊氏が、東上に際し、国内の船を徴発し操船人夫をそろえるように命じた者の中に由利基久とみえる(古文書類纂)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報