宝達金山(読み)ほうだつかねやま

日本歴史地名大系 「宝達金山」の解説

宝達金山
ほうだつかねやま

[現在地名]押水町宝達

押水町南東隅に聳立する宝達山の山頂近くから中腹にかけて採掘された金坑。近世加賀藩で「かね山」という場合は鉱山だけでなく鉱山集落を含めたものであったが、宝達金山の鉱山集落は採掘量の減少した寛永(一六二四―四四)頃には村に準じた取扱いとなり、畑地開墾も増加して寛文(一六六一―七三)頃には宝達村と称し、宝達金山は狭義の金坑をさすようになった。

金山開鉱年については天正二年(一五七四)(元禄年間の「十村手帳」岡部文書)、同一二年説(三州志・加賀藩貨幣録)と同一四年説(享保元年「長右衛門口上書」岡部文書)があるが、能登では早くから米銭に替わって金が使用されているので、実際には天正以前から開鉱していたと推定されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報