宝慈院(読み)ほうじいん

日本歴史地名大系 「宝慈院」の解説

宝慈院
ほうじいん

[現在地名]上京区下木下町

かつて臨済宗相国寺派に属したが、現在は単立。千代野ちよの御所といわれ、代々公卿貴紳の息女の住する禅室であった。「平安通志」には無外如大尼の創建で当初は樹下山資樹院と号し、本尊阿弥陀如来、のち宝慈院と改称、さらに大刹を建立し京都尼五山の一の景愛けいあい寺と称したとある。「雍州府志」はもと景愛寺の塔頭であったと記す。「親長卿記」文明三年(一四七一)二月九日条に「今日、自宝慈院妙花院、被進漸写妙経卒都婆経」とある。また「けいあい寺りやういしわらの御地し合三百文うけ取申候、ほうし院殿ふきやう(奉行カ)」という大永四年(一五二四)一二月二五日の地子請取状(山城名勝志)があり、これから当時、景愛寺が宝慈院とともに存在し、そのなかで宝慈院が重要な位置を占めていたことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報