安部田村(読み)あべたむら

日本歴史地名大系 「安部田村」の解説

安部田村
あべたむら

[現在地名]名張市安部田

井手いで村の西南に位置し、通称坂下さかんそ谷出たにで小屋出こやで鹿高かたかを含み、村のほぼ中央を宇陀うだ川および初瀬はせ表街道が走る。大和から伊賀への入口にあたり、黒田庄成立以前から交通の要衝をなし、保延六年(一一四〇)閏五月一八日の伊賀国東大寺領材木点定注文(高橋義彦氏蔵東大寺文書)にみえる「安部田木屋」の存在は、ここが周辺の杣山から切出された東大寺の用材を集積し、木津きづ川へ流す一拠点であったことを物語る。江戸時代は古検によれば本高八五九・二五八石、平高一五五八・八二石。寛延(一七四八―五一)頃の戸数一七五、人口六八五、馬六、牛一一。社寺として春日・鹿島・鳴宮明神・白山・春日寺・宮坊・阿弥陀院・福正庵・宝泉ほうせん寺・護念ごねん寺・新堂寺・中泉寺があった(宗国史)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報