安江庄・安江保(読み)やすえのしよう・やすえほ

日本歴史地名大系 「安江庄・安江保」の解説

安江庄・安江保
やすえのしよう・やすえほ

現安江町・南安江町・北安江町などを遺称地とし、小立野こだつの台地先端部から浅野川中流左岸にかけての地域一帯に比定される。「経俊卿記」康元二年(一二五七)閏三月一四日条に「加賀国安江庄内本庄山前桜田村」とみえ、尼尊恵は養女右衛門局が尊恵に先立って死去したため養孫の妙光(花山院師継の子)にこれらの地を譲与し、師継は安堵の院宣を申請し認められている。山前は「三宮古記」にみえる山崎やまざきにあてられ、桜田さくらだ村については戦国期豊田といた庄内に桜田村がある。なお「源平盛衰記」巻二八によれば、寿永二年(一一八三)五月安宅あたか(現小松市)から退却中馬を射られて落馬した武士に安江二郎盛高がおり、富樫家経の外戚の甥とされている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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