宇多大津村(読み)うだおおつむら

日本歴史地名大系 「宇多大津村」の解説

宇多大津村
うだおおつむら

[現在地名]泉大津市えびす町・高津たかづ町・上之うえの町・下之したの町・西港にしみなと町・汐見しおみ町・河原かわはら町・青葉あおば町・清水しみず町・式内しきない町・宇多うだ

大津川河口右岸にあり、紀州街道に沿う。中世宇多庄に含まれる。戦国期には藤林民部大輔や斎藤主膳らが大津城により勢力を振るったと伝え、紀州街道の楯並たてなみ橋東側の城山しろやまという小高い地が城跡といわれるが、伝承の域を出ない。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図では下条大津げじようおおつ村と合せて単に「大津村」とされ、うち宇多庄分として五六一石余が高付されている。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳では宇多大津村は六八三石余。元文年中改和泉国四郡郷村高帳によると六六二石余で、その後若干増加。江戸時代初期は幕府領で元和年間(一六一五―二四)から寛永元年(一六二四)まで堺奉行支配(宝暦一三年「村明細帳」田中家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報