女子大学(読み)ジョシダイガク

デジタル大辞泉 「女子大学」の意味・読み・例文・類語

じょし‐だいがく〔ヂヨシ‐〕【女子大学】

女子対象として教育を行う大学。女子大

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精選版 日本国語大辞典 「女子大学」の意味・読み・例文・類語

じょし‐だいがく ヂョシ‥【女子大学】

〘名〙
① 戦前、日本女子大学・東京女子大学校のように、女子専門学校で、女子大学(校)と称したもの。
※社会百面相(1902)〈内田魯庵女学者「貴婦が女子大学へ入るなんて、感心と云ひたいが」
② 戦後、新学制下で、女子を対象として広く知識を授け、専門の学芸の教授・研究を行なうことを目的とする大学。女子大。

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大学事典 「女子大学」の解説

女子大学
じょしだいがく

学士課程の教育を女性だけに限定した大学。

[歴史的起源]

もともと大学は男性の世界であり,女性は歴史的に長きにわたって,大学世界から排除されていた。19世紀以降,英米を嚆矢として,女性への大学教育の開放が現実の問題になってくると,最も有力な反対論とは,女性はその心身の構造からして大学教育には耐えられないというものであり,とくに「女性が男性と一緒に大学教育を受け,それによって脳を酷使すると,女性の生殖機能に重大な欠陥をもたらす」というものであった。アメリカ合衆国において1870年代に流行したこの言説は,ほぼそのままのかたちで,日本の大正期の臨時教育会議(1917~19年)の議論の中に見ることができる。同時期に成立した大学令(1918年)私立大学公立大学の設立を可能にしたが,ここでも女性の参入はついに認められず,第2次世界大戦後を待たねばならなかった。

 したがって女性への大学教育は,それが認められた場合でも共学制ではなく別学,すなわち女子大学という形式が好まれることとなった。日本では,1900年(明治33)津田梅子による津田英学塾吉岡彌生による東京女医学校が創立され,さらに翌1901年には成瀬仁蔵日本女子大学校を開設する。当時としては女性に高等教育を提供する稀有な存在であったが,法制上はいずれも中等教育機関であった。

 比較的早く,女性の大学教育が認められたのはアメリカ合衆国においてであり,19世紀初頭には男女共学制による大学が設立された。オベリン大学(アメリカ)(オハイオ州,1833年創立),アンティオク大学(アメリカ)(オハイオ州,1852年創立)などの宗教系の私立大学,これに続いてミシガン大学(アメリカ)(1817年創立,1870年共学化)ウィスコンシン大学(アメリカ)(1848年創立,1863年共学化)などの有力な州立大学が女性の入学を新たに認めていく。しかしながらこれらの事例は少数であり,女性の大学教育はやはり女性のみの教育環境でおこなうのが大勢であった。ヴァッサー大学(アメリカ)(ニューヨーク州,1861年設立,1865年開校)に続いて,ウェルズリー大学(アメリカ)(マサチューセッツ州,1870年設立),スミス大学(アメリカ)(マサチューセッツ州,1871年設立)ブリンモア大学(アメリカ)(ペンシルヴェニア州,1885年設立)といった私立大学が初期の女性の大学であった。これらの大学は,それまでの女性のための中等教育機関である女子セミナリー(女学院)とは一線を画して,男性の大学に匹敵する高度なカリキュラムを設置していた。

[共学化への趨勢]

アメリカ合衆国では20世紀に入ると,別学ではなく男女共学で学ぶ女性の数が増加し,1910年代には早くもその比率が全体の50%を突破し,以降この数値は急速に増加する。1960年代後半からは,女性解放運動が大きなうねりとなって社会の隅々にまでその影響力を浸透させ,高等教育に対してもあらゆる性差別を撤廃することを要求した。そこには共学制こそが「進歩的」で「真正の」教育であるという暗黙の前提が存在していた。このような中,プリンストン(1969年共学化,以下同),イェール(1969年),ヴァージニア(1970年)など,男性のみに開かれた名門大学が次々と共学化したが,同時にアメリカ最古の女子大学ヴァッサーもまた,1969年に共学制への移行を決定し,これに続く数年は毎年2桁の数の女性の大学が続々とヴァッサーの例にならって共学化していった。以降,共学化への趨勢は押しとどめようがなく,この結果,女子大学数は1960年代初頭の183大学が,2017年現在ではわずか39大学に激減した。

 日本においては,第2次大戦後,ようやく大学への女性の入学が認められ,新制大学の多くが共学制を採用した。前述のような戦前に創立された女性の高等教育の先駆者としての機関は女子大学に昇格した。さらに特筆すべきは,日本には独自の女性の高等教育機関としての女子短期大学(日本)が存在し,4年制大学に併設された短期大学部も含め,とくに1960年代以降,続々と私立の女子短期大学が設立され,女性の高等教育に一定の役割を果たした。

 しかしながら,前述のアメリカ合衆国の共学化への趨勢は,若干のタイムラグはあるものの日本にも当てはまり,女子大学は1990年代末の99大学から2017年現在の78大学に減少した。短期大学についても,女性の高学歴志向が高まるにつれて定員確保が困難になり,学校数,学生数とも急速に減少を続け,ピーク時の1996年の598大学が,2017年現在337大学である。

[女子大学の新たな存在意義]

共学化への趨勢はとどまることはなかったが,1980年代になると,共学制という環境の下で,女性が本当によりよい大学教育を受けることができるのかどうかという問題が提起されるようになる。このような問題関心の高まりは,一方では共学大学においてのセクシャル・ハラスメント事例が数多く告発されるようになったこと,さらに目には見えにくい女性の学生の疎外状況を解明する研究が公表されたことが寄与している。1982年,ホールとサンドラーの報告書『教室の雰囲気―女性にとって冷ややかなものか?』は,共学大学内の女性の学生がおかれた「冷ややかで人を萎縮させるような雰囲気(chilly climate)」を分析した最初の報告書であった。他方で,女性のみの教育環境が女性の学生のこのような疎外状況を解消し,将来の各界の女性リーダーを,とりわけ伝統的に男性が支配していた医学・科学分野において多数輩出するとする,ティッドボール,M.E.らによる女性アチーバー研究も注目を集め,女性の大学の新たな存在意義が強調されるようになっていく。
著者: 坂本辰朗

参考文献: 坂本辰朗『アメリカの女性大学―危機の構造』東信堂,1999.

参考文献: M. Elizabeth Tidball, et al., Taking Women Seriously: Lessons and Legacies for Educating the Majority, American Council on Education/Oryx Press, 1998.

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