出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
女子教育者、津田塾大学の創立者。元治(げんじ)元年12月3日幕臣・西洋農学者津田仙の次女として生まれる。名はむめ、1900年(明治33)梅子と改名。1871年(明治4)7歳のとき岩倉大使の一行に加わり初の女子留学生としてアメリカに留学し、18歳で帰国。華族女学校教授となり、のちに女子高等師範学校(現、お茶の水女子大学)教授を兼ねる。1900年辞職して、英語教育とキリスト教による人格教育を中心とした高等普通教育を目的に女子英学塾(津田英学塾、津田塾大学)を創立、没年まで塾長として多くの人材と優れた女子教員を育成。万国婦人連合大会(1898年、アメリカ・コロラド州デンバー)に日本婦人代表として出席している。昭和4年8月16日没。
[小股憲明]
『吉川利一著『津田梅子』(1930・婦女新聞社/中公文庫)』▽『山崎孝子著『津田梅子』(1962・吉川弘文館)』▽『大庭みな子著『津田梅子』(朝日文芸文庫)』
(古木宜志子)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
津田塾大学の前身,女子英学塾の創設者で,明治初期の西洋農学者津田仙の次女。江戸牛込に生まれ,1871年(明治4)8歳のとき,開拓使海外留学生として4人の少女とともにアメリカに留学,ワシントン郊外のアメリカ人家庭に居住し初等・中等の学校教育をおえた。この間キリスト教に入信,82年に帰国し,華族女学校発足と同時に教授補として英語を教えた。89年ふたたび渡米し,ブリンマー・カレッジで生物学,オスウィーゴ師範学校で教授法を学び92年に帰朝。華族女学校,女子高等師範学校の教授になったが,1900年両校を辞し,10名の生徒から出発する女子英学塾を東京麴町に創設,英語教育をとおして女性の視野を広め国際人としての教養を高めるとともに,中等学校英語教師の養成にのりだした。また英語教科書や英文学書の出版なども行い,明治・大正期をつうじて英語教育に大きな功績を残した。
執筆者:千野 陽一
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1864.12.3~1929.8.16
明治・大正期の教育家。津田塾大学創立者。明治政府がアメリカへ派遣した最初の女子留学生。本名むめ。江戸牛込生れ。津田仙の次女。開拓使が募集した女子留学生として1871年(明治4)岩倉使節団に同行して渡米。ワシントン郊外のC.ランメン宅に滞在して通学,受洗する。82年帰国。日本語を忘れ,日本の生活への適応に苦労するが,やがて伊藤博文家の通訳兼家庭教師となる。85年から華族女学校で教鞭をとり,89年再渡米。ブリンマー大学の選科生となる。92年帰国し,華族女学校に戻り,98年には女子高等師範学校教授も兼任。帰国以来抱いていた日本女性の地位向上には高等教育が必要であるとの考えにもとづき,1900年女子英学塾(現,津田塾大学)を東京麹町に設立した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
(2019-4-11)
出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…1871‐73年(明治4‐6),特命全権大使岩倉具視を中心とした米欧回覧の使節団。その目的は,(1)幕末に条約を結んだ国への新政府による国書の奉呈,(2)上記条約改正への予備交渉,(3)米欧各国の近代的制度・文物の調査・研究であったが,(2)の問題では成功せず,もっぱら(1)と(3)を主として遂行した。使節団の首脳は,右大臣岩倉(公卿,47歳――出発当時の数え年,以下同)のほか副使に参議木戸孝允(山口,39歳),大蔵卿大久保利通(鹿児島,42歳),工部大輔伊藤博文(山口,31歳),外務少輔山口尚芳(なおよし)(佐賀,33歳)がなり,各省派遣の専門官である理事官や書記官など総勢50名に近い大使節団であった。…
…伝統的に少人数教育を基本にし,キリスト教精神による人格教育と高度の英語,英文学の教育を特色としてきた。1900年津田梅子によって東京麴町に創設された女子英学塾が前身で,04年専門学校に昇格,31年現在地に移ったが,43年には理科を増設し,校名を津田塾専門学校と改めた。48年新制大学に移行し津田塾大学として新発足,63年には大学院を設置し,現在,英文学科,数学科,国際関係学科からなる学芸学部をおいている。…
※「津田梅子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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