奥州合戦

山川 日本史小辞典 改訂新版 「奥州合戦」の解説

奥州合戦
おうしゅうかっせん

1189年(文治5)源頼朝が奥州藤原氏を滅ぼした合戦。源義経をかくまったことを口実として朝廷藤原泰衡(やすひら)追討宣旨を求めた頼朝は,一方で全国的な軍事動員を進めた。追討宣旨を得られないまま奥州征討を決定,7月19日みずから大軍を率いて鎌倉を発した。8月には伊達郡阿津賀志(あつかし)山(現,福島県国見町)で藤原国衡(くにひら)の率いる奥州軍主力を破り,逃げる泰衡を追って22日,藤原氏の本拠地平泉(現,岩手県平泉町)にいたった。泰衡は館に火を放ち,さらに北走したが,9月3日,郎従河田次郎の裏切りによって殺された。この合戦により奥州藤原氏は滅亡

出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報