奥堂町(読み)おくのどうまち

日本歴史地名大系 「奥堂町」の解説

奥堂町
おくのどうまち

[現在地名]博多区御供所町ごくしよまち冷泉町れいせんまち

櫛田前くしだまえ町の東に延びる通りの両側町で、東の聖福寺前しようふくじまえ町に接する側から西へ奥堂町上・奥堂町下・奥堂町中と並ぶ。馬場ばば新町小山町上おやままちかみ南北の通りとの辻を境に東側が奥堂町上・奥堂町下、西側が奥堂町中(福岡博多近隣古図)。「筑前福岡区地誌」、明治二四年(一八九一)出版の福岡市全図(福岡市誌)なども東から上・下・中の順。なお九州文化史研究所蔵の博多古図では東から上・中・下としている。永享四年(一四三二)の四月八日付貞感書状(油座文書写/筥崎宮史料)に「はかたおくのたう」、同九年五月一三日の飯田秀家書下(同上)に「博多奥堂屋敷」がみえる。同所には筥崎宮の油座神人で日明貿易商人でもあった奥堂氏がおり、奥堂弥次郎は猿船に屋敷三ヵ所を所持していた(応永三三年四月二〇日「生石親輔書下」同上)。奥堂氏は博多奥堂に一町半の畠地と方一町の居屋敷を所持している(嘉吉三年四月三日「飯田秀家等連署状」同上など)。永享三年以降奥堂氏は博多屋敷の諸公事や畠地の公事、油役諸公事、さらには油の苅萱かるかや(現太宰府市)過銭等を大内氏配下の陶氏や宗氏から免除されている(同年四月四日「陶宣輔書下」同上など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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