大高村(読み)おおだかむら

日本歴史地名大系 「大高村」の解説

大高村
おおだかむら

[現在地名]いわき市勿来町

蛭田ひるた川左岸にあり、南東四沢しさわ村、北は江栗えぐり村、南西窪田くぼた村。菊多きくた郡に属する。近世領主の変遷は磐城平藩領から元和八年(一六二二)窪田藩領、延宝七年(一六七九)藩主土方雄隆の弟雄賀は菊多郡、能登国羽咋はくい(現石川県羽咋郡)のうちで二千石を分与され、旗本となる。土方雄賀は菊多郡大高村・酒井さかい村で一千石を領した。大高村は寺領を除いてすべて旗本土方領であったが、元禄八年(一六九五)雄賀の次男長十郎政貞(内藤氏を称する)に両郡(菊多郡では大高村)のうちで三〇〇石を分与し、政貞は同じく旗本となるが、同一六年遠山政徳の養子となり采地は収公された。幕府領となった地は寛保二年(一七四二)以降棚倉藩領。

大高村
おおだかむら

[現在地名]緑区大高町

近世知多郡内の東大高ひがしおおだか(現知多郡武豊町)に対して西大高村ともいった。村の北は鳴海なるみ村である。尾張丘陵に源を発した天白てんぱく川が東西に流れている下流の辺りは、「万葉集」に詠まれた年魚市あゆち潟の一部であり、海岸沿いであった台地には、古墳貝塚などがある。

古くは氷高ひたか邑・火高ひたか邑といった。氷上姉子ひかみあねご神社や民家が大火の被害を受けてから大高と改称されたという。元和五年(一六一九)志水忠宗の知行地となった。鳴海村に近く当村の枝郷なかごうがあり、「寛文覚書」には「万歳出ル」とあり、また陰陽師筋目の者多しという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報