大雄院(読み)だいゆういん

日本歴史地名大系 「大雄院」の解説

大雄院
だいゆういん

[現在地名]日立市宮田町 栄田

宮田みやた川左岸の高台にある。曹洞宗で天童山と号する。本尊釈迦如来三尊像(県指定文化財)

度志前正観音菩薩略縁起によると、文明二年(一四七〇)南極寿星が田尻たじり度志前どしまえの観音堂に参籠、霊夢により宮田村杉室すぎむろの地に草庵を結ぶとあり、宮田川河床のふとん石とよばれる巨岩上で修行したといわれる。その徳風を慕い帰依した山直やまなお(現多賀郡十王町)城主小野崎朝通がその地一帯五〇余町を喜捨して、大雄院が開基されたという。

大雄院
だいゆういん

[現在地名]桐生市広沢町三丁目

茶臼ちやうす山の北麓にある。曹洞宗、広沢山と号する。本尊は釈迦如来。「だいおういん」とも呼称される。広沢氏の伝承を伝える広沢古事談(桐生市史)によると、養和元年(一一八一)源姓広沢氏の矢田(足利)義清は平家追討の際討死、次子広沢義実が父の菩提のため一寺を建立、本尊に阿弥陀如来閻魔大王を安置し、広沢山大王院としたという。当寺は広沢氏の居館跡にも比定される。天正二年(一五七四)当地を押えた由良成繁は当寺に制札を出している(同年四月二七日「由良成繁書状」藤生文書)

大雄院
だいゆういん

[現在地名]吹田市内本町三丁目

曹洞宗、山号百丈山、本尊聖観音。もと崇守そうしゆ院と号し、大永年中(一五二一―二八)宮前みやのまえに開創された天台宗寺院であったが、文亀二年(一五〇二)中島崇禅なかじまそうぜん(現東淀川区)一四世雪渓が当寺二世となり曹洞宗寺院となる(吹田市史)。文禄三年(一五九四)九月の大田郡吹田村検地帳写(早田家文書)には「屋敷三畝 三斗九升 崇衆院」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報