大陸封鎖令(読み)タイリクフウサレイ(英語表記)le Blocus continental

デジタル大辞泉 「大陸封鎖令」の意味・読み・例文・類語

たいりくふうさ‐れい【大陸封鎖令】

1806年、フランス皇帝ナポレオン1世が、トラファルガー沖の海戦に敗れた報復としてヨーロッパ大陸諸国と英国との通商断絶を図って出した勅令。ヨーロッパ諸国の経済を窮迫させ、ナポレオン没落を早めた。ベルリン勅令

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精選版 日本国語大辞典 「大陸封鎖令」の意味・読み・例文・類語

たいりくふうさ‐れい【大陸封鎖令】

ナポレオン一世のイギリスに対する経済封鎖作戦。イギリスに対してヨーロッパ大陸の市場を閉鎖するように命じたもの。一八〇六年のベルリン勅令、これをさらに強化した一八〇七年のミラノ勅令などをさす。

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旺文社世界史事典 三訂版 「大陸封鎖令」の解説

大陸封鎖令
たいりくふうされい
le Blocus continental

ナポレオン1世がイギリス経済を封鎖するためにベルリンで発した勅令。ベルリン勅令とも呼ばれる
1806年,大陸諸国に対して,対英貿易の禁止,イギリス人の逮捕と財産没収,イギリス本国・植民地産商品の没収を命じた。イギリスが自由拿捕 (だほ) 令を発し,逆封鎖で対抗すると,ナポレオンは翌年のミラノ勅令でイギリスの商港に出入りする船舶の没収を宣言,1810年には密貿易取り締まりを強化した。この勅令により,ナポレオンはフランス商品による大陸の独占的支配をはかったが,これに従った大陸諸国が経済的に窮迫してナポレオンに反発したことで失敗,失脚の原因になった。

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