大西 俊夫(読み)オオニシ トシオ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大西 俊夫」の解説

大西 俊夫
オオニシ トシオ


肩書
参院議員(無所属懇談会),日農書記長

本名
大西 十寸男

生年月日
明治29年8月18日

出生地
東京市浅草区花川戸(現・東京都台東区)

学歴
早稲田大学政経学科〔大正11年〕卒

経歴
早大時代から社会主義運動に加わり、大正11年卒業後「日本農民新聞」を編集。12年ドイツに留学したが関東大震災で帰国し、日農総本部書記となって理論的・組織的指導の中心となる。昭和2年日本共産党に入り、3年の3.15事件で検挙されるが、釈放後、全農総本部書記となり、農民運動統一のため奮闘した。12年人民戦線事件で検挙され14年まで投獄戦後も農民組合活動を続け、22年日農書記長に選出され無所属で参院議員となったがまもなく病死した。

没年月日
昭和22年7月29日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「大西 俊夫」の解説

大西 俊夫
オオニシ トシオ

大正・昭和期の農民運動家 日農書記長;参院議員(無所属懇談会)。



生年
明治29(1896)年8月18日

没年
昭和22(1947)年7月29日

出生地
東京市浅草区花川戸(現・東京都台東区)

本名
大西 十寸男

学歴〔年〕
早稲田大学政経学科〔大正11年〕卒

経歴
早大時代から社会主義運動に加わり、大正11年卒業後「日本農民新聞」を編集。12年ドイツに留学したが関東大震災で帰国し、日農総本部書記となって理論的・組織的指導の中心となる。昭和2年日本共産党に入り、3年の3.15事件で検挙されるが、釈放後、全農総本部書記となり、農民運動の統一のため奮闘した。12年人民戦線事件で検挙され14年まで投獄。戦後も農民組合活動を続け、22年日農書記長に選出され無所属で参院議員となったがまもなく病死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「大西 俊夫」の解説

大西 俊夫 (おおにし としお)

生年月日:1896年8月18日
大正時代;昭和時代の農民運動家
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android