大石庄(読み)おおいしのしよう

日本歴史地名大系 「大石庄」の解説

大石庄
おおいしのしよう

現野田川町字石川いしかわの小字大石を中心とした地に比定される。小字大石は現加悦かや町字香河かごに相接し、一つの谷をなしている。もと石川・香河は一村で、分離したのは慶長年中(一五九六―一六一五)という伝承がある。

室町期には常在光じようざいこう寺領であった。常在光寺は慶長年間まで現在の知恩ちおん(現京都市東山区)の地にあった臨済宗常在光院のことと思われる。荘名をみる早い例は、元弘三年(一三三三)五月二〇日付熊谷直久軍忠状(熊谷家文書)で、「大石庄内三薗令破却城畢云々」とみえる。

丹後国田数帳には、

<資料は省略されています>

とあり、「蔭涼軒日録」長禄二年(一四五八)六月九日条に「常在光寺領丹後国守護段銭之事」、同一七日条に「常在光寺領、丹後国守護段銭御免許之事被仰出、被于御料所之在所之」とみえる常在光寺領は当荘をさすと考えられる。

大石庄
おおいしのしよう

大石川流域および大石川と瀬田せた川との合流域に比定される。「輿地志略」が近世の大石五ヵ村(淀・中・東・龍門・小田原)を庄域とするのはほぼ妥当とみられるが、うち龍門りゆうもん史料龍門庄ともあるので、少なくともある時期は独立の庄園としてあった。延応元年(一二三九)一〇月九日の六波羅探題御教書(佐久奈度神社文書)に大石庄とみえ、当庄住人が地頭の威を借りて網代を構えたと賀茂社供祭人と同一の集団と考えられる佐久奈度社供祭人の真木島邑君らが訴え、当庄地頭代に弁明が命じられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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