大楊生庄(読み)おおやぎゆうのしよう

日本歴史地名大系 「大楊生庄」の解説

大楊生庄
おおやぎゆうのしよう

三箇院家抄(内閣文庫蔵大乗院文書)に次のようにある。

<資料は省略されています>

当時の大楊生庄は興福寺大乗院領で、同寺勧修坊が預所、もとは春日社神供料所でもあったと考えられる。四村郷は「春日社記録」中臣祐春記の正応二年(一二八九)四月一日条の「神戸四ケ郷」にあたり、現柳生町にある疱瘡地蔵の正長徳政記念碑にみられる「カンムヘ四カンカウ」であり、春日神供料所大楊生・坂原さかはら・小楊生・邑地おおじの四郷と考えられる。大楊生庄は春日社の神戸に始まる荘園(→神戸四箇郷、平安期に春日社が興福寺の支配下に入るに及び興福寺領となり、大乗院領に属したものであろう。所在は荘号からみて現大柳生町に比定される。応永六年(一三九九)の興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)に「大乗院方 大楊生七町七段半」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android