大栄町(読み)だいえいちよう

日本歴史地名大系 「大栄町」の解説

大栄町
だいえいちよう

面積:三六・二二平方キロ

東は北条ほうじよう町、西は東伯町、南は倉吉市に接し、北は日本海に面する。海岸の砂丘地帯(北条砂丘の一部)の南に広がる沖積地は、中世、現在の由良ゆら川河口付近に注いでいた天神川によって形成されたものという。沖積地の南西には細長く延びる緩やかな丘陵地が続いており、由良川がこの丘陵地を北東に流れ平野部で北西に折れてのち、西流してきた北条川を合せ日本海に注いでいる。北部を東西に国道九号とJR山陰本線が並行して走る。

由良宿ゆらしゆくに弥生時代の玉作工房跡である西高江にしたかえ遺跡があるのをはじめ、上種かみだね・下種両地区を中心に町内全域に古墳が分布する。古代には由良の海とよばれる内湾が亀谷かめだに付近にまで及んでいたといい、沖積地には瀬戸せとしまなどの地名が残っている。「和名抄」東急本に載る八橋やばせ由良郷が現町域に比定され、中部には「延喜式」兵部省に登載されている「清水きよみつ(現東伯町八橋に比定)と「松原」(現倉吉市内に比定)の両駅を結ぶ官道が通っていたと推定される。平安時代末には北部から倉吉市域にかけての地域に久永くえ御厨が成立しており、西高尾にしたかお八幡宮前身とされる山城石清水いわしみず八幡宮の別宮が種に勧請されている。

大栄町
たいえいまち

面積:五〇・五七平方キロ

香取郡の西部に位置し、東は佐原市・栗源くりもと町、北は神崎こうざき町、西は成田市・下総しもふさ町、南は多古たこ町に接する。町域の中央を大須賀おおすか川が利根川に向かって北流し、川を取囲むように台地が広がる。国道五一号にほぼ並行して東関東自動車道が南西から北東へ横切り、大栄インターチェンジがある。国道五一号の当町東端付近から東総有料道路が栗源町・山田やまだ町へ通じている。遺跡は主淡貝塚として知られている奈土など貝塚があり、小規模な古墳群などが散在する。中世には町域の大部分が大須賀郷・大須賀保に属し、千葉氏一族の大須賀氏が松子まつこ城を本拠として活躍した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報