大宮鉄道工場(読み)おおみやてつどうこうじよう

日本歴史地名大系 「大宮鉄道工場」の解説

大宮鉄道工場
おおみやてつどうこうじよう

[現在地名]大宮市錦町

明治一八年(一八八五)日本鉄道第一区線(現JR高崎線)と第二区線(同東北本線)の分岐点に大宮駅が開設されると、大宮の地は鉄道の中心となった。日本鉄道株式会社は直営工場建設の必要に迫られ、同二七年三月この地に鉄道工場を開設した。当初は材料工場として二三九人の職員で発足したが、同三五年には二六万三九一九平方メートルの敷地と一千六一八人の職員数を有するまでに拡充した。業務の中心は貨車客車・機関車の修繕におかれたが、新車の製造も行った。同三一年に寝台車(トク二一号)、同三二年にボギー車(ナヱ五四二〇)の製作を開始し、機関車では同三四年に形式五二七〇の二Bテンダ機関車(蒸気)、同三七年には形式一〇四〇のタンク機関車(同)の量産化を達成した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報