大宮住吉神社(読み)おおみやすみよしじんじや

日本歴史地名大系 「大宮住吉神社」の解説

大宮住吉神社
おおみやすみよしじんじや

[現在地名]坂戸市塚越

越辺おつぺ川右岸台地上にある。祭神は底筒之男命・中筒之男命・上筒之男命・息長帯比売命・品陀和気命。旧郷社。中世には大宮、近世には住吉大明神などとよばれた。天徳三年(九五九)長門国豊浦とようら楠乃くすの(現山口県下関市)の住吉神社を当国住人山田長慶が勧請したと伝え、北武蔵一二郡の総社とされた(神社明細帳)。江戸時代に作成された「住吉社覚」には、源義家が奥州出陣の際に簸川大明神を勧請したこと、治承四年(一一八〇)千葉常胤が参詣し歌を一首奉納したこと、永享元年(一四二九)足利持氏が社殿を再建したことなどが記録される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報