大宮 敏充(読み)オオミヤ トシミツ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大宮 敏充」の解説

大宮 敏充
オオミヤ トシミツ


職業
俳優

肩書
デン助劇団座長

本名
恒川 登志夫

別名
筆名=言問 三平,言問 文星,前名=大宮 敏光

生年月日
大正2年 4月13日

出生地
東京市入谷(東京都 台東区)

経歴
独学でタップ・ダンスを学び、21歳の時芸能界に入る。昭和14年歌と踊りと芝居の軽演劇“大宮登志夫一座”を結成し地方巡演。16年応召、17年除隊となるが、19年再び応召。21年復員し、浅草の松竹演芸場に復帰、デン助劇団大宮敏光一座を率いて言問三平のペンネームによる自作自演の人情喜劇「デン助シリーズ」で人気を博した。つるつる頭にドングリ目、半袖のシャツにズボン、サンダルばきの服装はデン助スタイルといわれた。浅草の軽演劇の伝統を守り続け、42年には自作脚本1000本を数えた。NETテレビ(テレビ朝日)で35年から12年間「デン助劇場」を放映、全国的な人気を得た。47年敏光を敏充に改名。しかし過労に倒れ48年に一座は解散。以後フリーとして映画「股旅」、テレビドラマ「北の家族」などに出演。また大宮敏充芸能学院を開き、後進を指導した。著書に「デン助 浅草 泣き笑い人生」がある。

没年月日
昭和51年 12月23日 (1976年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「大宮 敏充」の解説

大宮 敏充
オオミヤ トシミツ

昭和期の俳優 デン助劇団座長。



生年
大正2(1913)年4月13日

没年
昭和51(1976)年12月23日

出生地
東京市入谷(現・東京都台東区)

本名
恒川 登志夫

別名
筆名=言問 三平,言問 文星,前名=大宮 敏光

経歴
独学でタップ・ダンスを学び、21歳の時芸能界に入る。昭和14年歌と踊りと芝居の軽演劇“大宮登志夫一座”を結成し地方巡演。16年応召、17年除隊となるが、19年再び応召。21年復員し、浅草の松竹演芸場に復帰、デン助劇団大宮敏光一座を率いて言問三平のペンネームによる自作自演の人情喜劇「デン助シリーズ」で人気を博した。つるつる頭にドングリ目、半袖のシャツにズボン、サンダルばきの服装はデン助スタイルといわれた。浅草の軽演劇の伝統を守り続け、42年には自作脚本1000本を数えた。NETテレビ(現・テレビ朝日)で35年から12年間「デン助劇場」を放映、全国的な人気を得た。47年敏光を敏充に改名。しかし過労に倒れ48年に一座は解散。以後フリーとして映画「股旅」、テレビドラマ「北の家族」などに出演。また大宮敏充芸能学院を開き、後進を指導した。著書に「デン助 浅草 泣き笑い人生」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「大宮 敏充」の解説

大宮 敏充 (おおみや としみつ)

生年月日:1913年4月13日
昭和時代の喜劇俳優。デン助劇団座長
1976年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報