大原浜(読み)おおはらはま

日本歴史地名大系 「大原浜」の解説

大原浜
おおはらはま

[現在地名]牡鹿町大原浜

牡鹿半島の西岸、大原湾の奥に位置する。東は人石ひといし山で十八成浜くぐなりはまと、南は人石山より中沢なかざわにかけての線で給分浜きゆうぶんはまに、北は鹿しかもり山・いし峠・ろくとうげ山で谷川浜やがわはまに接する。慶長一六年(一六一一)のセバスチャン・ビスカイノの「金銀島探検報告」に、清水田浜しみずだはまから大原浜に進み、湾内で宿泊したとある。この夜ビスカイノは伊達政宗からの書翰二通を受取っている。正保郷帳に田四貫五五八文・畑八〇八文とある。牡鹿郡遠島十八成組大肝入扱いのうち。藩政期を通じ蔵入地で、元禄年間(一六八八―一七〇四)の「牡鹿郡万御改書上」によれば、田四貫六八四文・畑一貫五八五文、人頭五一人、男三一二・女二一五、大原浜在家東西一町二間・南北三町二六間とある。

「安永風土記」では田五貫四二文・畑一貫八〇〇文(うち茶畑七四文)とあり、堤一、堰四の合計溜高三貫五三一文で、他村との入会はなかった。寛永年間(一六二四―四四)の竿答百姓四五人が、安永年間(一七七二―八一)には六八人と増加している。男一九一・女一四九、家数六八(うち借屋一)、馬五二。宿場でもあり十八成浜・小網倉浜こあみくらはま谷川浜へ継送りを行っていた。駄賃は十八成浜へ本荷三二文・軽尻二三文、小網倉浜へ本荷二三文・軽尻一五文、谷川浜へ本荷三一文・軽尻二〇文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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