大久保用水(読み)おおくぼようすい

日本歴史地名大系 「大久保用水」の解説

大久保用水
おおくぼようすい

大沢野町にある神通川右岸の用水。同町塩野しおのはかつて塩野大窪しおのおおくぼとよばれ、富山藩領内にあり、「御城下より南の方三里計り隔て、飛州街道の方に塩野と申て(中略)小松原荒地あり、此中程に大久保村とて、茶屋二軒外に百姓家の由五軒合せて七軒計りの小村」であった(「若林旧記」大沢野町誌)。寛保元年(一七四一)塩野大窪開のための用水の開削が計画され、明和三年(一七六六)頃から工事に着手し、安永五年(一七七六)頃ようやく一部の通水をみ、新田開発が始まった。寛政一二年(一八〇〇)に用水の大改修が行われ、さらに塩野開発の進捗に伴い、文化一〇年(一八一三)富山町の岡田屋嘉兵衛(三輪日顕)によって用水の拡張工事が行われ、これによって幅三間で東大久保村まで通じた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報