大串金山跡(読み)おおくしきんざんあと

日本歴史地名大系 「大串金山跡」の解説

大串金山跡
おおくしきんざんあと

[現在地名]西彼町平山郷・鳥加郷・平原郷・喰場郷など

近世、大村領内にあった金山の跡。鳥加とりか郷・喰場じきば郷などを含めて各所で金山が採掘され、大村藩財源になっていたとされる。大串金山は山金の生産と砂金採取を並行して行っていたもので、すでに寛永四年(一六二七)から同六年まで、寛文二年(一六六二)から同六年まで、元禄年間(一六八八―一七〇四)、宝永六年(一七〇九)、享保一五年(一七三〇)など断続的に採掘があったらしい(大村見聞集・大村郷村記)。うち寛永五年に請山を行った深江屋などは一ヵ年の運上銀八六貫目とされたが、これは間歩・掘場のほか酒・魚棚・味噌・刻み煙草など諸座の運上を含むとされる(日本鉱山史の研究)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報